〜第一章 契り〜 ・U
制帽を脱ぎ、きっちりと整えられた髪の毛に指を入れながら、彼――レフ=ウィ
ルソンは大きく息を吐いた。
きっちり二時間、上層部の禿げ共の小言を聞かされたらさすがに疲れる。何度あ
の禿げ頭をどついてやろうと思ったか…。
まあ、予想はしていことだったが…。
奴らの小言と言うのは柳瀬と勝手な交渉をしたことについてだった。
「お前が俺のモノとなるのなら、他の奴らは解放してやる」
彼は柳瀬にこう言った。
確かに、奴らが言うように彼を生かしておくのは危険だ。それも捕虜としてでは
なく、自分の下で働かすことを前提としたこの条件は危険極まりない。
一瞬でも隙を見せたら最期。柳瀬ほどの者ならば、確実にこの生命を奪っていく
だろう。
そんなことはわかっている…。
それでも、
俺は奴を欲しいと思ったのだ。
西の曹長の右腕以上の働きをしたという彼が。
カリアナ半島での指揮は彼が取っていたという。ちなみに、この戦いでは北軍が
惨敗だった。
あの才能が欲しい…。生まれ持ってのあの戦いの才が。
それに……。
柳瀬の姿を思い出し、レフは眼を細めた。
ただ、彼を美しいと思ったのだ。今や稀になったあの漆黒の髪は疎か、戦いで傷
ついた躰でさえ…。
彼には人間としての魅力がある。正直、ここまで他人に興味を持ったのは初めて
だ。それに最後かもしれない。だから、多少の危険は厭わない。ただ、あの男が
欲しいのだ……。
約束の時間まであと5時間…。
5時間したら奴は自分の手に入る。
予感?予測?――いや、確信だ…。
瞳を見たらわかる。ヤツはそういう奴なのだ。
一部を欠いた月はいつの間にか姿を消し、代わりに明るみを保ち始めた空が小窓
いっぱいに見えていた。
―――夜明けが、やってきた。
カツ、カツ、カツ…という規則正しい足音を聞き、柳瀬は身体を起こした。
石造りの牢屋は足音がよく響く。それが革ブーツを履いているならば尚更のこと
…。
足音の主は牢の柵から一メートルほどの距離を保ち立ち止まった。
高そうな白い革のブーツが視界に入る。
「約束の時間だ」
その声に柳瀬は立ち上がる。ジャラリ、と足枷と手錠から延びた鎖がなった。
「…あの条件は偽りじゃねえだろうな?」
「俺を嘗めてもらっては困る」
柳瀬の問いにレフは無機質に答える。
それを聞いて柳瀬はハッと笑った。
「いいだろう。なってやるよ、お前のもんに!!こんな傷だらけの身で良ければな
ぁ!」
そう叫んだ後、くっくっく…と狂ったように柳瀬は笑う。
まるで何かが壊れたかのように…。
「出してやれ」
そんな柳瀬に冷たい目線をやりながらレフは後ろに控えていた軍服姿の男たちに
告げて一人歩きだす。
男たちは鍵束を出し、そのうちのひとつを牢屋の鍵穴に突っ込み右に回す。“カ
チャリ”という鍵が開く音が牢に響き渡った。
錆びた音をさせながら牢屋の扉が開かれる―――と同時に柳瀬は男たちに体当た
りし、牢屋から飛び出した。反動で男たちが転んだのにも目もくれず、柳瀬は真
っすぐに走りだす。
手首にはめられていた手錠も、足首にはめられていた足枷も、いつの間にか外さ
れていた。
レフが背後の騒ぎに振り返ろうとした瞬間、ガッとゆう音と共に首に圧迫感を感
じた。
視界の端に柳瀬の顔が見える。
それでも、彼の眼には動揺の色ひとつ見えない。ただいつもと変わらない冷たい
灰色の目が、柳瀬の姿を映し出す。
「俺を自分の傍に置くとゆうことは、こうゆう状況に陥ることも覚悟していると
ゆうことだな?」
感情を押さえた低い声でそう言いながら、柳瀬はレフの首を締める腕に力を加え
た。
ぐっ、とレフの喉がなる。
返答をしようと思うのだが、柳瀬の腕が首を締め付けているため巧く声帯が働か
ない。
その腕を払おうと柳瀬の腕に手を伸ばそうとした瞬間、急に首から圧迫感が消え
た。と、同時に背中の方で誰かが倒れる音がした。
振り返ると、さっき柳瀬に突き飛ばされた兵士たちがいつの間に追い付いたのか
、倒れる柳瀬に剣先を突き付けている。
自分から柳瀬を引き剥がしたのもこの者達であろう。
余計なことを…と思うが口にはしない。言ったところで双方気を悪くするだけだ
。その代わりに謝辞も述べはしないが。
首に手を当て、軽い咳をしながら柳瀬に目を向ける。
視線がかち合った。
柳瀬の目に浮かぶ、面白いくらいに顕にされた憎悪感に、自然と妙な笑いが込み
上げてきた。
「ああ。愉しみにしてるよ」
そう言って不敵な笑みを向けるレフの姿を視て、柳瀬は一瞬背筋が凍った。
今の言葉は冗談でもなんでもない。奴は、レフ=ウィルソンは、本気でこの状況
を楽しもうとしているのだ。
柳瀬はフッと自嘲気味な笑いを零した。
牢から出てもあるのは自由でも何でもない。奴との戦いは今始まる・・・。
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第一章、2ページ目です。曹長のお名前が出て来ました。
っていいますか、彼の名前が決まらないからなかなか続きが書けなかったんですよね(汗)。
ちなみにウィルソン(Wilson)は英語ですが。レフ(綴り不明;;)はロシア語です。
レフは英語名のリオ。ただ、レフという響きの方があっていたので・・・。
意味は「獅子」。曹長には「白銀の獅子」という異名が付いている・・・はず。
これで一章は取り敢えず終わりです。
さて、続きをどうしましょうか。(オイ)
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